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東京高等裁判所 昭和51年(う)944号 判決

被告人 石川収一

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人原哲男が差し出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書に、それぞれ記載してあるとおりであるから、これらを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断する。

弁護人の控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について

所論は、原判決は判示第四の後段において「被告人は昭和五〇年八月一八日東京都大田区矢口二丁目一番一〇号付近道路において、警視庁池上警察署警ら四係勤務警視庁巡査武尾健悦から自動車運転免許証の提示を求められた際、同巡査に対し、右偽造にかかる免許証をあたかも真正に成立したもののように装つて提示してこれを行使し」たと認定しているが、原判示第五の事実においては、「前記免許証の有効期限が経過していた」と認定されており、このことは、本件運転免許証の有効期限欄の記載によると右行使の日である昭和五〇年八月一八日から三か月も前である同年五月七日に有効期限が切れていることからも明瞭であるところ、文書偽造罪・同行使罪の保護法益は文書に対する公共的信用の保護にあるから、本件運転免許証のように外観上公共の信用を害するおそれのほとんどない文書は、右各罪の「文書」性を欠くものというべきで、本件においても被告人から本件運転免許証の提示を受けた前記武尾巡査は直ちにその場で本件運転免許証が有効期限切れであることを見破り、それを理由とする無免許運転の疑いによつて被告人を取調べたものであることが証拠上明白であるから、有効期限後であることが文面の記載上明らかな本件運転免許証の提示は偽造公文書行使罪に当たらないものと解すべきであるとし、所論に副う長崎地方裁判所佐世保支部の判決(昭和三三年七月一八日宣告、第一審刑事裁判例集一巻七号一〇六八頁)を引用し、原判決には判決に影響を及ぼすべき事実誤認があるとともに、公正な手続によらないで刑罰を科した点において憲法三一条に違反するというのである。

そこで審按するに、所論が指摘する原判示第四、第五の各事実は、原判決挙示の各関係証拠によつて明認されるところであるが、公文書偽造罪、偽造公文書行使罪の保護法益は、所論も認めるとおり公文書の成立の真正に対する公共の信用にあるものと解されるところ、本件被告人の公文書偽造の方法は、原判示第四事実冒頭記載のとおり、被告人において窃取した神奈川県公安委員会の記名押印のある竹本亨に対する自動車運転免許証の写真欄に貼付されていた同人の写真を剥ぎ取り、同欄に自己の写真を貼付し、もつてあたかも自己が右免許証の交付を受けた竹本亨であるかのような外観を呈する同公安委員会作成名義の自動車運転免許証一通を偽造したというものであり、さらに、原判決挙示の証拠によれば、右免許証の提示を受けた前記武尾巡査は、その有効期間が経過していることには気付いたが、免許証自体は真正に成立したものと誤信して、その理由による無免許運転の取調べに入つたものであつて、この限りにおいて公文書の成立の真正が害されたことは明らかであり、提示当時にはたまたま本件偽造行為の時期から期間が経過して有効期限が切れており、その記載自体から運転免許証としては有効なものでなくなつたとしても、各免許証の提示による偽造公文書行使罪の成立は妨げられないものと解するのが相当である。けだし、文書内容における実質的有効、無効ということは、これをもつて直ちに、公文書偽造罪、偽造公文書行使罪の成否を決するについての本質的な要素とみるべきものではないからであり(無効といえば、すべての偽造文書がそうである。)、前記の保護法益に照らし、文書全体としての外観、形式等から容易に一般人を真正に成立した公文書であると認識させるほどのものでない場合(例えば偽造方法が稚拙極まるものである等の理由により)に始めて、本罪における文書性が否定されるものというべきである(なおこのことは、運転免許証がその本来の効用のほか、さらに一般の社会生活において、最も証明力の高い身分証明書的役割を果している実情にも適合するものである。)。所論の引用する判例の見解は、当裁判所として同調しがたいところであり、原判決に所論のような事実誤認ないし憲法三一条その他法令違反の誤りがあるとはいえない。論旨は理由がない。

同第二点(量刑不当の主張)について

所論にかんがみ、原審記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して、その当否につき検討するに、本件、とくに公私文書偽造、同行使の罪質、態様、動機等に徴し、かつ、被告人には本件第二、第四と同種の道路交通法違反、有印公文書偽造、同行使の罪により昭和四九年二月八日横浜地方裁判所において懲役一年六月、四年間刑の執行猶予の判決を受けていることをも考慮すると、犯情には軽視を許されないものがあり、被告人の刑責はまことに重いものといわざるを得ない。所論指摘の、被告人の家庭状況、とくに被告人の働きによつて老母、子供二人の生活が支えられていること、被告人の職場における勤務ぶり等、有利な情状をできるかぎり斟酌してみても、原審の言渡した刑期を懲役一年以下に軽減し、再度の執行猶予を付すべき事案であるとまでは、到底考えられない。原審の量刑はやむを得ないところであつて、重きに過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 服部一雄 藤井一雄 中川隆司)

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